「名誉という文化」「武士道」新渡戸稲造 奈良本辰也 訳解説 要約
第八章「名誉」 苦痛と試練に耐えるために 不名誉はその人を大きく育てる 名誉という感覚は個人の尊厳とあざやかな価値の意識を含んでいる。名誉は武士階級の義務と特権を重んずるように、幼時のころから教えこまれるサムライの特色をなすものであった。 今日honourの訳語とされている名誉という言葉は自由に使われることはなかった。 だがその観念は「名」「面目」「外聞」などの言葉で表わされていた。 これらの言葉はそれぞれ聖書で用いられる「名」(ネーム)、ギリシャの仮面から生まれた「人格」(パーソナリティ)、そして「名声」(フェイム)を私たちに連想させる。
高名 人の名声、それは「人を人たらしめている部分、そしてそれを差し引くと残るのは獣性しかない」という考えはごく当然のことと思われた。
その高潔さに対するいかなる侵害も恥とされた。 そして「廉恥心」という感性を大切にすることは、彼らの幼少のころの教育においても、まずはじめに行なわれたことであった。 「人に笑われるぞ」「体面を汚すなよ」「恥ずかしくはないのか」などという言葉は過ちをおかした少年の振舞いを正す最後の切札であった。 子が母の胎内にいる間に、その心があたかも名誉によってはぐくまれたかのように、この名誉に訴えるやり方は子供の心の琴線にふれたのである。 なぜなら、名誉は強い家族意識と結びついているので、真の意味では出生以前から影響を受けている、といえるのである。 バルザックは「家族の結束が失われると、その社会はモンテスキューが名づけた名誉という根本的な力を失ってしまう」といっている。 まことに廉恥心は人類の道徳意識の出発点だと私には思えるのである。 「禁断の木の実」を口にしたために一人間が蒙らねばならなかった最初にして最後の罰は、産みの苦しみでもなく、イバラやトゲの痛さでもなく、私にいわせれば差恥の感覚の目覚めであった。 (第八章「名誉」 後半略) ==== (第十五章「大和魂」 前半略) 過去の日本はサムライにそのすべてを負っている、といっても過言ではないだろう。 彼らは民族の花であり、かつ根源でもあったのだ。 天のあらゆる恵み深い贈り物はサムライを通じてもたらされた。 社会的存在としては、武士は一般庶民に対して超越的な地位にあった。 けれども彼らは道徳の規範を定め、みずからその模範を示すことによって民衆を導いた。
私は武士道が武士階級自体に対する奥義ともいうべき教訓と、通俗的な教訓をあわせもっていることを認めるものである。
あるものは人民の福祉と幸福を乞い願う超階級的な善意であり、あるものは武士階級自身のための徳目の実践を強調する気高い規律であった。 (第十五章「大和魂」 中略) サムライは民族全体の「美しき理想」となった。 「花は桜木、人は武士」と歌われた俗謡は津々浦々にいきわたった。 武士階級は営利を追求することを堅く禁じられていたために、直接商売の手助けをするということはしなかった。 しかしながら、いかなる人間の活動も、いかなる思考の方法も・武士道からの刺激を受けずにはいられなかった。 日本の知性と道徳は、直接的にも、間接的にも武士道の所産であった。 (第十五章「大和魂」 後半略) ==== (第十六章「武士道は甦るか」 前半略) 日本の変貌は今や全世界に明らか基実である。 このような重大な事業にはさまざまな動機が自然に入りこんだ。 しかし、その主要な力は何か、と問われれば、ためらうことなく、それは武士道であるということができる。 日本が外国貿易に全国を開放したとき、生活のあらゆる部分に最新の改良を輸入したとき、西洋の政治と学問を学びはじめたとき、私たち日本人を動かした推進力はけっして物質資源の開発や・富の増加ではなかった。 ましてや西洋の習慣の模倣などではなかったのである。 (第十六章「武士道は甦るか」 中略) 劣等国とみなされることに耐えられない、という名誉心。 これが動機の中で最大のものであった。 殖産興業という考えは変革の過程で、後から目覚めたのである。 (第十六章「武士道は甦るか」 後半略) ==== (第十七章「武士道の遺産から何を学ぶか」 前半略) あらためていうまでもなく、活力をもたらすものは精神である。 精神がなければ最良の装備もなんらの利点とならない。 最新式の銃も大砲もみずから火をふくことはない。 現代の教育制度をもってしても臆病者を英雄に仕立てあげることはできない。 否、鴨緑江において、あるいは朝鮮や満州において勝利をかちとらしめたものは、私たちを導き、そして私たちの心を励ましてきた父祖の霊魂であった。 これらの霊魂、私たちの勇敢な祖先は死に絶えたのではない。 見る目をもつ人たちにはそれらがはっきりと見えるのだ。 もっとも進んだ思想をもつ日本人の表皮をはいでみよ。 そこに人はサムライを見るだろう。 名誉、勇気、そしてすべての武徳のすぐれた遺産はクラム教授によってまことに適切にいい表されている。 すなわち、それは「我々が預かっている財産にすぎず、祖先およびわれわれの子孫のものである。それは誰も奪いとることができない人類永遠の家禄」である。 したがって現在のわれわれの使命はこの遺産を守り、古来の精神をそこなわないことである。 その未来における使命はその人生のすべての行動と諸関係に応用していくことである。 (第十七章「武士道の遺産から何を学ぶか」 中略) 武士道は一つの独立した道徳の掟としては消滅するかもしれない。 しかしその力はこの地上から消え去ることはない。 その武勇と文徳の教訓は解体されるかもしれない。 しかしその光と栄誉はその廃墟を超えて蘇生するにちがいない。 あの象徴たる桜の花のように、四方の風に吹かれた後、人生を豊かにする芳香を運んで人間を祝福しつづけることだろう。 何世代か後に、武士道の習慣が葬り去られ、その名が忘れ去られるときが来るとしても、「路辺に立ちて眺めやれぱ」、その香りは遠く離れた、見えない丘から漂ってくることだろう。 (第十七章「武士道の遺産から何を学ぶか」 後半略)
是非読んでみてください。
「武士道」 |
依光感想 この文章は1898年にアメリカ滞在中の新渡戸が英文で書いた文章です。 そのため戦争での勝利までも武士道的な視点で書かれていることは残念ですが、この文章をこのことだけで否定することはできないと思っています。 武士道というのは、人により、また当時のサムライにしても解釈が違うはずです。 武士道の異なった解釈による、正しくない道での実践ということもあったに違いありません。 しかし武士道的な思考法は、剣という矛盾をどう乗り越えるかということを通して、善悪とは何か、道とは何かを追求するものだと思います。 こういった精神は、日本の良い文化として残していくべきではないかと思っています。
|