「生きるまでいきたらば、死ぬるでもあらうかとおもふ」「無苦庵記」前田慶次郎 より
抑(そもそも)此(この)無苦庵(慶次郎のこと)は、孝を勤むべき親もなければ、憐れむべき子もなし。 こころは墨に染ねども、髪結ぶがむづかしさに、つむりを剃り、手のつかひ不奉公もせず、足の駕篭かき小揚やとはず。 七年の病なければ三年の蓬(もぐさ)も用ひず。 雲無心にしてをまた岫(くき)を出るもまたをかし。 詩歌に心なければ、月花も苦にならず。 寝たき時は昼も寝、起きたき時は夜も起る。 九品蓮台に至らんと思ふ欲心なければ、八萬地獄に落つべき罪もなし。 生きるまでいきたらば、死ぬるでもあらうかとおもふ。
「一夢庵風流記」より 隆慶一郎 著 定価 667円 |
依光感想 戦国時代の武将、前田慶次郎利益(とします)の小説、「一夢庵風流記」で紹介されていた文章で、とても好きなので載せてみました。 江戸時代の官僚的な武士ではなく、戦国時代を生きぬいた「花」としての武士。 さっぱりと見える一方で、何か切ないという日本的美のあり方。 人は一代、名は末代 そういう誉れ(ほまれ)を求める生き方にたまらない憧れを持つのです。 PS 漫画の「花の慶次 雲のかなたに」も面白い♪
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